学校で重宝される「優等生なリーダー」。しかし、彼らが実は大人の顔色を伺い、仲間を支配する装置になってはいないでしょうか。わが子が感じた「洗脳」に近い教室の違和感から、日本社会の縮図とも言える教育現場の構造的欠陥を、心理学の視点で読み解きます。
教育現場で重宝される「リーダー」とは、どんな子どもでしょうか。 残念ながら今の学校では、自分の頭で考える子よりも「先生の意図を素早く察し、周囲を統制する子」がリーダーとして評価される傾向にあるように感じています。
わが子が教室で感じたのは、先生の代弁者(子分)のようになってしまったリーダーたちの姿でした。彼らは先生からの称賛という報酬を得ることで、自分たちが正しい側にいるという「選民意識」を抱かされているように見えます。
ここには、いくつかの心理学的な罠が潜んでいます。
1. 過剰適応と「偽りの主体性」
先生の期待に合わせすぎることで、自分の本来の欲求を抑え込んでいる状態を過剰適応と呼びます。これを「主体性」と見誤ると、将来「自分が本当はどうしたいのかわからない」大人を生んでしまいます。
2. 内集団バイアスによる排除の構図
「先生の言うことを聞く正しい集団」に属していると思い込み、そこに従わない仲間を「ダメな奴」と叩く心理(内集団バイアス)が働くと、教室は分断されます。正義の顔をした排除が、仲間を追い詰めていくのです。
3. 職員室から伝染する同調圧力
この構造は、教員組織の写し鏡でもあります。若手教員が、圧の強いベテラン主任に迎合し、「厳しく指導しなければ組織を乱す」という暗黙のルールに縛られれば、そのストレスや管理の空気はそのまま子どもたちへと伝染します。
大人の「管理しやすさ」を守るための教育になっていないか
大人が自分の管理のしやすさを守るために、子どもを操作の道具にしてはいけません。「何も言わずに言われた通りに動く人」を育てることは、組織を維持するには便利かもしれませんが、それは教育の敗北ではないでしょうか。
子どもは本来、自分で考える力を完璧に持って生まれてきています。 大人の正解へ誘導するのをやめ、彼らが先生に忖度せず、自分の感覚を呼吸させられる「余白」「遊びの時間」「なんでもない時間」を届けていく。それが、社会全体の歪みを正していく第一歩になると、私は確信しています。

