「授業参観」ではなく「学習参観」
私が子どもの頃、保護者が学校の授業を見に来る行事は、「授業参観」と呼ばれるものでした。
「授業参観のお知らせ」と書かれたプリントが先生から配られて、指定された日時にたくさんの親が学校の授業を見に来る、あのイベントです。子どもの私は後ろを気にしながらソワソワと授業を受けた日のことを今でも覚えています。
ところが、わが子たちが通う公立小学校では「授業参観」ではなく「学習参観」という名称でお知らせのプリントが配られます。
その中身は、授業を保護者が教室の後ろの方から見るというもので、一見すると「授業参観=学習参観」と捉えても問題なさそうに思えますが、実際に見に行くと、ニュアンスの違いを感じるのです。
「授業参観」というと、私たちが子どもの頃に受けていたごく普通の「一斉型の(講義形式の)授業」のイメージで、先生が前に立ち、教科書の内容に沿って授業を進め、子どもは自分の席に座ってノートを取り、時には先生の問いかけに手を挙げて答え、先生が学習内容の説明をする。それを保護者が後ろの方で列になって観ている、そんなイメージですよね?
でも、子どもの小学校の「学習参観」に行くと、そういうイメージの授業はほとんど行われていません。
子どもが自ら、または友達同士で協力しながら学習を進めるのです。

先生は教えない
私は、元々は教師だったこともあり、学習参観に行くとき、つい「子どもたちの先生は、どんな授業をしているのかな~?」とわが子の様子よりも先生の授業の方を見たくなってしまうんです。今日は、どんな導入(声掛け)から授業を進めるんだろう?とか、黒板にはどんなことを書くんだろう?と、まるで同僚の授業をみて、自分も勉強したい気持ちになるのです。
でも、今の学校の授業を実際に見てみると、先生は「教える」というよりも、子どもの学びを「支える」「整理する」「活性化する」ことに徹していることが多く、「先生たちスゴイ!!!」と心から思うのです。
授業の始まりのチャイムで、日直の子どもが、
「これから、5時間目の”学習”を始めます」と言ってあいさつしたのを初めて聞いた時も、「あ、”授業”じゃないのね?”学習”なのね!?」となり、感動しました。
そうか、「子どもが主体」なんだ!!!!!
だから、「授業参観」ではなく「学習参観」なのね、と気づいたのです。
子どもが主体の学習とは?
子どもが主体の学びとは、子どもが自らすすんで学んでいく学びのこと。子ども自身が、学習内容に興味や関心を持って、自分で考え、行動する学びです。
なぜ、子ども主体の学びを重視するのか?については、また別の機会に詳しく書こうと思いますが、
きっかけの1つは、文科省が定めている「学習指導要領」の改訂です。
現行の学習指導要領は、小学校では2020年度、中学校では2021年度、高校では2022年度から実施されています。
その学習指導要領の総則に「主体的・対話的で深い学び」と書かれており、主体的・対話的で深い学びの「主語は子ども」だと説明があるのです。
子どもを主語にした授業をデザインするとき、「先生が何を教えるか」という観点を学習指導要領の中心に置いたままではいつまでたっても子どもが主体になれない、という現場の先生方の気づきがあったのではないかと感じます。
そこで、子どもたちが通う小学校でも、まずは子どもたちが自ら学べるよう、「先生が教える」というスタイルをいったん脇に置いて、子どもたち自身が学びを進められるよう、先生は子どもたちを見守り、時には支え、学びを整理したり活性化する役回りに転換をはかっているのだと感じました。
(*もちろん、先生が全く教えないわけではありません。でも、以前に比べると、学習”内容”教えることに力点を置かずに、学習の”進め方”を教えてくれているような授業になっています。)
授業を観ても何をしているのかわからない・・・
私は、この”学び”(授業)の転換について、先生方の覚悟を持って進める姿に、深い感銘と感謝の気持ちでいっぱいになったのですが、ある時、仲の良いママ友から、
「学習参観で授業をみても、先生は教えてくれないし、子どもたちもそれぞれ学んだり進度も違ったりして、何やっているのか全然わからない。このままで大丈夫なのか心配…」
と言われ、ハッとします。
そうだよね、私たち、保護者世代って、こういう学び方(*子どもの学校では、単元内自由進度学習を取り入れています)をしていないよね?あまり知らないよね?主に、一斉学習だったもんね?
「主体的」「対話的」の意味を、私たち保護者世代がイマイチ理解していないんだよね?と。
そこで、私自身が、まずは説明できるように……と、「主体的・対話的で深い学び」の良さをまとめてみることにしました。
そして、これを保護者・地域の方たちみんなで学んで、先生方を応援し続け、保護者と一緒に子どもたちの学びを豊かなものに……そんなことを考えています。
次回、「主体的・対話的で深い学び」が今なぜ重視されるのか、つづりたいと思います。